10年前の話。
「ねー、りんくん」
「なあに、ひろくん」
「わんのおよめさんになってくれるかや?」
およめさん。女の子しかなれないと思っていた“職業”。
それに男の自分でもなれると思った瞬間、凛は満面の笑みで頷いていた。
「うんっ!」
「なってね」
「なるよ」
「あんしぇー、“ちかいのきす”ね」
「うん」
触れた唇は柔らかくて、凛はふわふわした気分で寛の手を握り締めた。
それから、可愛い2人は手を繋いだまま夢の中へ。幸せだった。
まだ齢5歳。
お互い、世の中の事を知らなさ過ぎた。



「〜♪……♪」
リズムを刻みながら、凛はチラリと寛を盗み見た。
(……楽しそう)
昼休みは必ず1組に行く。同じクラスの甲斐が決めた鉄則だ。
凛はこの掟があまり好きではなかった。
寛に会えるから。
(……ちぇっ)
大音量のヒップホップにかき消されて会話する声は聞き取れないが、寛の笑顔を見る限り、
とても楽しい事が伺い知れる。
楽しくない。色んな意味で面白くない。
それに、寛はモテる。あの顔で。
この前まで、学校一美人で、学校で2番目に馬鹿な女と付き合っていた。
ちなみに学校一馬鹿は凛だが。
(面白くねーらん)
寛がニヤリと笑って田仁志の耳元で喋ると、田仁志は興奮して鼻息を荒くした。多分、エロい話。
童貞の凛にはきっと分からない話だ。そして、寛が非童貞だと思うと、凛の胸の奥がキュウ、と痛んだ。
どうして、いつも自分ばかり本気なのか。
どうして、いつまでも自分だけ好きなのか。
分からない。
「凛、」
ぽん、と肩を叩かれ、凛はのろのろと振り返った。
「体育館行ちゅんどー」
「ち、ちねっ」
慌ててイヤフォンをもぎ取って支度していると、寛は薄く微笑んで教室から出た。早く追わねば。
(……いや、)
はた、と足を止める。
いつもいつも追い掛けてばっかり。5歳の時は気付かなかった差。寛はいつも先を行ってしまう。
寛は遠い存在なのだ。
寛は頭が良い。モテる。背が高い。ゴーヤーが食べれる。
(わんも、早くやーに追い付きたい)
俯いていた顔を上げて、急いで寛を追った。寛は足が長い。
これも彼の利点だ。凛は少し短い足で必死に走り、背中に飛びついた。
「わっ!」
「……ちねん、先行ちゅんとか、狡いさー」
「わっさんわっさん」
ポン、と優しく頭を叩かれる。凛はムッとして寛を見上げた。
「わらばー扱い」
「ん」
「フラー」
「はは、凛にあびられるなんてな」
「みんちゃさいさー」
「わっさん」
寛の優しい笑みに、凛は頬を染めて俯く。
「あ、のさ」
「ん?」
「わったーもサボらん?」
「はは、しんけん?」
「うん」
「やーはいつもいつも……」
寛は言いかけて、はたと止まった。前方に何人か女子がたむろしている。チラチラと寛を気にしている様子を見て、凛はムッとした。
「……ちねん、いったーって、」
「多分、永四郎と裕次郎は屋上にいるよなー」
「あ、うん」
「あんしぇー、わったーは資料室行ちゅんどー」
「え、しんけん?」
「サボろーあびたんは凛の方さー」
「やしが、やーは」
「シー」
寛の長い人差し指が凛の唇に触れる。
「わん、あの子等苦手なんさー。ね、わんを助けると思って」
「う、ん」
「よし」
寛は笑って凛の手を取ると、体育館とは真逆の方向に走り出した。胸がキュンとした。凛は、ただ寛の広い背中ばかり見ていた。
今は、寛以外の事は考えられない。
凛は、寛が大好きだった。昔から今までずっと。
「ち、ねっ……速っ、」
息を切らし、人気のない資料室の中に入る。埃と、古くなった本の匂いがする。
寛に引き寄せられ、凛は彼の腕の中にいた。
「……ちねん?」
「やーって、いっつもわんを避けてばっかやさぁ」
「う、うんねーるくとぅ……」
「わん、約束したでしょ?」
10年前、と囁かれ、凛の身体の奥が熱くなった。 「やーは、わんの物」
「やてぃん、やーは……ひ、非童貞だって、」
「……誰さぁ、うんねーるくとぅあびたん」
寛は呆れていたが、少し低い声音で聞く。凛は静かに首を振った。
「……凛は、根も葉もないうわさを信じるかや?」
「……ううん」
「そう」
5歳の時、初めて触れた唇の感触がよみがえる。
凛は震えるまぶたを閉じた。
「りんくん」
「……ひろくん」
昔の呼び名で呼び合い、恥ずかしさに互いに笑った。
まだ齢14歳。
10年前、幼い唇で互いに愛を誓い合った。
世の中を知らなさ過ぎたあの頃とはまた違う、
未熟だけど、気持ちだけは変わらない。
そう、あの頃からずっと、彼だけを。










あとがき
うほっ( з )
結局、知念って非童貞なんかなー……←
ちねりん大好き(^q^)
(2010 09 21 時雨)